移植・消化器外科の紹介

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医局の歩み

教室主任として10年経過して

2012年元日に教授の発令を受け、丸10年が経過した。
当初は20年は何とも長いなと感じていたが、10年経ってしまうとあっという間であったという印象である。ただ、大変年を取ったというのも実感である。実際、膝も痛めたし、副鼻腔炎の手術も受け、内服薬も以前より倍に増えた。また斯界でも私より下の学年の教授も続々増えてきた。

この5年間の私の個人としての目標は、1.教室員に手術手技、コンセプトを教え、また新しい手技を導入する環境を作ること。2.学会役員活動を精力的に行い、社会からの信用を得ること であった。40代後半から50代前半であり体力、気力も自信があったため、上の2点に尽力すると決めていた。また手術をしてかつ外を走り回る仕事は、50代後半からでは遅いのではないかと考えた。幸い手術も10年間で1723例(執刀504例)入ることができ、消化管、肝膵ロボット手術などの新規高難度手術も導入、肝移植300例到達、膵移植も軌道に乗せることができた。直近5年間は医学部の幹部、病院の幹部のお誘いは一切断って、上記2点に的を絞って活動した。

一方この5年間の間に医療事故、若手教室員の急逝、入局員の減少など心を痛め、自信を失うことも多かったが何とか乗り越えた。教室員が活き活きと末永く外科医として活動できるよう、私としても時代に併せて変革を行ってきたつもりである。朝カンファの開始時間を遅くし、夕カンファの中止など。COVID-19禍も相まって幸いオンラインシステムが充実してきたため、学会理事・委員会活動が移動なしで同日に複数可能となり、手術も入れるようになった。また学会予行もオンライン化した。そして2021年4月からは中尾病院長のご高配で満を持して、副病院長に復帰させて頂いた。働き方改革のためか病院運営会議の頻度も減って、時間も短縮されており、意外と手術もまだまだできている。

最初の5年間の振り返りの際に作成した「Quinquennial Report 2012.1-2016.12」では、資料を基に外部委員に外部評価をお願いした(当時の河野茂副学長、下川功医学部長、前村浩司副病院長、市田隆文外部委員、学生代表の白鬚君)。詳細は同門会誌に譲るが、内向きの組織にならないように、5年間の目標を立てて邁進してきたつもりである。1.外科学指導者の輩出、2.再生医療のさらなる臨床応用、3.小腸移植プログラムの確立、 4.AIの外科手術への応用、5.主要学会役員の輩出、6.各領域の外科専門医数の倍増。さてどのくらい達成できたのか?「Quinquennial Report 2017.1-2021.12」にて検証したい。

「在任初期5年間を振り返って、そして今後の展望。」

2017年は年頭より積極的に諸々の動きを行った。内容は下に示すが、2018年は地に足を付けて実のある仕事をしたいと思う。漢字1字で示すなら堅、英語で言えばSolidという意味で、今後のためにがっしりとした中身のある内容を考えていきたい。東京オリンピックの年には教室が大ブレイクできるように舵をきって行きたい。

先日、5周年の仕事をまとめた業績集Quinquennial Reportを上梓し、全国の施設、OBの皆さまにお届けした。内容は誌に譲るが、教室員全員で臨床、手術、研究、教育と、全力で楽しみながら取り組んできた証である。また、業績集では目立たせなかったが、「教室初の海外、台湾への医局旅行」、「医局野球二連覇」、「全国外科学会クイズ大会3位」などの福利厚生にも力を入れた。なんでも「折角やるなら楽しんで一生懸命やるしかない」の精神である。現在就任7年目が始まったが、やっと最初の5年間の力の蓄えが活きてきている。本年は再生医療に関する学内の大きな研究費、またAI手術器具に関する厚労研究も採択を得ることができ、空振り続きから脱することができた。また、最初の5年間は中央アジアでの手術支援を中心に国際協力を行ったが、次の5年も教室員と世界で活躍したい。

「2017年からの新しい研究」

2017年4月18日より、熱研の平山謙二教授との共同研究で南米ボリビアの首都ラパスへ教室の足立智彦助教、小林慎一朗助教と出向いた。食道・直腸などの巨大化症の原因となるシャーガス病の研究である。黄熱病の予防接種を終え、LA、マイアミ経由でラパスに入ったが問題はその高度だ。3,500m。富士山登山で強度の頭痛、嘔吐を経験した私はダイアモックス、デカドロンを予防内服し、当地に到着した。実際ゆっくり動かないと息が上がるし、部屋の酸素ボンベを吸うと世界が戻る。このような環境の中、南米消化器病学会で肝移植について講演を行った。旧第一外科出身の西沢Juan先生が通訳を含め、様々な世話をして下さった。学会後にはPTCDを依頼され、透視下でデモンストレーションを行った。PD手術を頼まれたが、断って良かったと思った。ディスカッションでは日常的に大腸・食道の拡張症例が多く存在し、我々の消化管運動の調査が今後施行できることを確認した。
高山病はあまり問題にならなかったが、昼食で食べた骨髄?に見事に当たり、嘔吐下痢症となってしまった。薬物療法では回復せず輸液療法となり、空いていたICUに入院となった。ラパス在住のJICAの皆さんにおにぎり、味噌汁を差し入れて頂き、徐々に回復し無事帰国することができた。この場を借りて深く御礼申し上げたい。今後の研究の展開も期待している。
2016年末、定例の木曜7:30からの論文抄読会で、研究を担当PhDの堺助教が興味深い論文を読んだ。内容は、成熟した肝細胞に化学的な刺激を与えることにより、肝細胞、胆管細胞どちらにも再分化しうる細胞を惹起することができるというもの。何となくSTAP細胞っぽいがPS、iPS細胞のように多能性幹細胞まで戻るのではなく、若干若返るのみ。再現性もありそうで、CLIP細胞と名付けられていた。これには物凄く驚いた。我々が目指している肝組織体を作成するには胆管細胞が必要であるが、成熟胆管からは分離培養が3年かけても不可能であり、この時期は壁にぶつかっていた。
すぐに九大別府の三森教授にお願いし、論文を出していた国立がんセンターの落谷教授に連絡をつけ、堺助教、日髙医局長と国立がんセンターに乗り込んだ。国の先頭を走っているラボであるため、既に共同研究先は決まっているかと思っていたが、胆管細胞CLIPは共同研究をされておらず一番乗りであったようだ。First come, first serve.といわれ共同研究が始まった。2月には堺助教と大学院生の原君を1ヶ月国内留学させ、研究が進んでいる。
一方、肝外胆管の作成も喫緊の課題であった。この部分は曽山助教が担当し、堺助教と旧知の東海大学の紙谷准教授に御指導を仰ぎ、胎児肝芽細胞を使い、佐賀大学の中山功一教授の3Dプリンターの技術も共同研究させて頂き、実験を進めている。この5年間で教室員とここまで来たが、次の5年間ですべきことが見えてきた。大学の外科学教室の研究としては、十分に楽しく未来のあるものができている。5年後、本研究がどこまで成果を上げているのか今から楽しみである。

「副病院長を務めて」

2012年10月から2016年10月の4年間、副病院長を務めた。教室も若く、土台を作る時期であったため躊躇したが、自己の啓発が教室のためにもなるかと考え直し、引き受けた。当時の病院運営メンバーは河野病院長、丸野事務部長、安岡補佐、前村、中尾、宮崎各教授の面々。当初は先進医療担当、その後は研究、教育担当となり、病院内の入院システム改善(現在のベッドコントロール)、後方支援強化(パートナーシップ)などに関わった。毎週月曜午後の病院運営会議、2週に一回水曜日の教授会と、我々の手術日と重なりバランスに苦慮したが、教室員、秘書の草野君の協力を得て何とか終えることができた。大学病院の存在意義を考えながら務めたつもりである。丁度、特定共同指導にも関わることができた。今は退任したため、自分の好きな手術、診療、研究、教育に時間を使うことができるようになった。2期目のこの5年間は若さに任せてぐいぐいと進めていく所存である。

「働き方改革を考える」

最近の働き方改革について考えることが多い。少子高齢化のため生産年齢人口が減少し、現在4人に1人が高齢者となっている。政府は、外国人、女性、AI等の積極的社会進出を推進し、局面の打開を考えている様子。以前土曜日のMMカンファを大学内のワークライフバランスセンターから指導され、水曜日夕に移動させたのは数年前ご報告した通りであるが、確実に外科領域にも様々プレッシャーが迫ってきている。思い起こすとアメリカでは外科レジデントは朝5時半に来ていたし、フェローも6時半、アテンディングも7時半に来て、手術前に回診していた。現在もそのようである。日本と違うのは夕方帰宅するのが17:30、で引き継ぎ、当直体制が確立し、当直翌日は休みとなっていることだけである。しかし昨今の働き方改革ではすべての職種で勤務時間も9時17時半が望ましいようだ。電子カルテのログイン時間でチェックされるとの事。

実際、現在の我々にシミュレーションしてみよう。例えば、我々は月水金手術日のため、手術出しが8:30となっている。長い手術、例えば移植、PD、肝切、食道などは8:00出しである。これを外科医9時出勤可能とするためには麻酔科、病棟を含め、周辺での話し合いが必要となる。経営のため縦並びに手術を入れることを求められており、我々の領域の手術は17:30以降にずれ込むことも多い。途中で当直に手術を変わるのは無理である。

次にカンファランス。例えば火曜日に7:30から術前術後カンファランスを行っているが、10時から外来を入れているため、2時間半で終了せねばならない。しかも学生教育、教室員教育を兼ねているため、適当にはできない。最近は1週間の症例数が15-20例程あるため、1例5分-10分としても15例で75 分-150分かかる計算となる。術後報告も教育には重要であるため、1例3分としても3×15例で45分かかる。約100分+45分、つまり145分=2時間25分となる。これを9時から開始とするならば、術後のみ9時から、術前は手術のない火木のPMとなるが、大学は如何せん薄給のため、火木あるいは金曜日のPM、教員はアルバイトに出かける。特にsingle incomeの教室員は先立つものがないと家庭生活、仕事がままならない。月水金PMはどうか?長時間手術が多い当教室は15-16時以降に手術が終了することも多い。また以前は3時間程で終了していた消化管手術も、今は鏡視下手術全盛のため、長時間かかってしまう。つまり9-17時内に全てを不足なく終了するのは不可能に近い。

ワークライフバランス先進国オランダはどうだったか?記憶をたどってみた。オランダの特長はパート勤務でも常勤と同等の給料、保険、年金が頂ける。いわゆる福祉が充実している。一方税金が高い。消費税21%、所得税最大52%と高額だ。次に症例数。彼らは完全集約型である。つまり高難度手術は国で決めた数か所のセンターでしか行わない。例えば肝移植は国内3施設、その内、小児は1施設と決められている。例えば肝胆膵癌の手術も私が勤務していたUMCGは、週4日手術日であったが、たとえ膵癌でも順番に待たせる。平気で3ヶ月も。つまり1週間の予定手術数を制限固定してしまうのである。そうすれば、手術前術後カンファの時間も限定され、スムーズに時間が使えるはずである。それが本院で、あるいは日本で可能か?病院からは外科は収益が大きいので手術数を増やすように言われている。オランダのように集約化していない日本では当院で手術できないものは他院に移るだけであろう。土曜日も使えない。困った…つまり今の形態では教室員のワークライフバランスを保つことができず、管理者失格である。極論的には人員を増やすか、ノルマを減らすか二つに一つである。

他方、実際教室各々の立場で皆がワークライフバランスを保ちたいと思っているのだろうか?外科に入局し、時間を惜しんで修業したいと思っていないか。またそういう時期は必要ではないか。実際、修行中、修行前の外科医もW/Lバランスを気にしているのだろうか?アメリカ、オランダ外科医も一緒で、人生の「ある時期」は一生懸命修行してスキルを身につけたいと言っていた。日本と違うのは滅私し頑張った後には、高収入、高栄誉などが保証されている。つまりトンネルの先に光が見えているのである。丁度上のような事を考えていた際、豪州ブリスベンで長きにわたり渡り肝移植を執り行われたSteve Lynch教授が講演に来られた。ある教室員がどうすれば先生の様にgreat surgeonになれるのかと問うた。彼の答えは「No.1. Work hard, No.2. Work hard, No.3. Have a spouse who allow you to work hard」との答えであった。「人が伸びる時は階段状に伸びるのではない。ある時期まで緩やかで、ある時急峻に伸びる」という。つまり、ある時期まではしっかり知識、技術、経験を積み上げることだと。特殊な領域の外科医の意見ではあるが、今後もじっくりシステム論も含めて考えてみたい。

「当科初の特許取得までの道」

2011年10月にある食事会に長崎大学工学部 石松隆和教授が同席され、楽しく歓談した。その際、何か困ったことがあれば相談に乗りますよという言葉を頂いた。2012年1月、教授として着任後、早速教室員と本学工学部の石松教授室を訪ね、当時の諸麥准教授と伴に、手術器具の欠点などを話した。その内の一つに小児外科の腹腔鏡下鼡径ヘルニア根治術の治療に用いる針状の手術器具について、何とかカバーを付けて針から体を守ることができないかという課題があり、ビデオを見せながら話した。臨床の症例カンファランスにて「このような器具があれば良いのではないか?」と問いかけたが、当時の担当者からは「そのようなものがなくても、自分は上手くできるから不要です」と片づけられたものである。売られている物のみで手術をすることに慣れている我々としては、新しい物を作るイメージが湧かず困っていたため、聞いてもらえる機会を得たことすら新鮮であった。その後、諸麥先生に試作品を作ってもらい、改良を重ねた。
完成したプロトタイプを倫理委員会に承認して頂き、10例の臨床研究を行った。そして特許を申請、出願した。出願作業も慣れておらず、本学の知財管理課の方々と相談しながら進めていった。出願後は晴れて学会発表、論文発表も可能となった。次に実際の製品化を考えて頂ける企業探しである。まずはLPEC針を販売している会社にお願いしたが、他の同様な器具を開発中らしく丁重に断られた。途方に暮れ、諦めかけていた頃、ある研究会である器具を作品化されていた発表を聞き、ダメ元でその企業にあたってみることとした。すると検討してくださるとのこと。その後はその企業の方々と会議を繰り返し、粘り強く交渉した。最終的に製品化の方向で決定し、同時期に特許も認可された。その企業にライセンスを購入して頂いた。今後も役に立つ手術器具を世に出していきたい。幸い昨年「AIを用いた腹腔鏡器具の開発」の厚労科学研究費を獲得できたので、時流に乗って進めていく所存である。

最後に、Quinquennial Reportにも書いたが、第一コーナーまでの5年間でできたこと、また今後の5年間でやり遂げたいことを列挙し、本年の鐘韻原稿としたい。教室の大学内評価としては、私が全学教員1060人中教育3位、研究2位、国際化15位、地域・社会貢献7位、外部資金8位であったので、これがそのまま教室の評価である。教室の教員のみならず、医員、修練医、研究室、補助員みんなで全力投球した結果であり、謹んで受け止めたい。

「過去5年間で達成できたこと」

  • 食道再生医療(細胞シート) ヒト幹での臨床応用10例
  • 膵臓移植・膵島移植施設認定取得
  • 肥満外科立ち上げ、脳死肝移植の発展(本邦初のHIV/HCV重複感染者に対するDDLT、九州初の肝腎同時DDLT)、Da Vinci導入
  • Acute care surgeryのシステム整備(腹部外傷non responderの救命率向上)
  • 外科手術での国際貢献(カザフスタン、ジョージア、ミャンマー)
  • 化学療法班の設立と臨床試験登録システム
  • 大動物ブタ実験再開(再生医療)
  • 医工連携特許出願1件
  • 永田康浩教授、林田直美教授の誕生

「次の5年で達成したいこと」

  • 外科学指導者の輩出
  • 再生医療のさらなる臨床応用
  • 小腸移植プログラムの確立
  • AIの外科手術への応用
  • 主要学会役員の輩出
  • 各領域の外科専門医数の倍増

教授就任5年目挨拶(平成26年5月)

私が移植・消化器外科の責任者に任命されて5年目を迎えました。

この4年間でいろいろな事にチャレンジしてきましたが、まだまだ新しい外科治療にチャレンジしていく所存です。どうぞ元気のある若者達、ご参集を。外科手術は勿論の事、他の方面でもいろいろな経験をしてもらいます。皆さんの力を結集して、大きな仕事をしたいと思っています。

外科領域の専門医制度も変革期を迎えております。元来、外科学会が主導する外科専門医制度は非常に整備され、その必要経験手術数、論文学会参加業績、なども他国の外科専門医制度と比べても十分誇れるものと思います。

まずは後期研修中に十分な症例を経験し、この外科学会専門医を取得することを目指します。その後、2階建ての部分、つまり消化器外科専門医、心臓血管外科専門医、呼吸器外科専門医、小児外科専門医と自分の専門に特化していきます。

次に私たちの教室では、主に消化器外科専門医を取得することを目指します。つまり上部消化管、下部消化管、肝胆膵外科すべてを経験し、消化器外科医として社会に認められ、患者治療に貢献できるように育てていきます。

例えば最初からPDができる訳ではなく、胃の手術を覚え、腸の手術を覚え、再建できるようになってからやっとPDができるようになる訳です。私も今でも胃の手術が一番得意です。

現在の3階の部分、つまり肝胆膵外科高度技能専門医、内視鏡外科技術認定医、移植認定医などは、まずは消化器外科専門医が必須です。特に長崎では離島を含めた地域医療に貢献する必要がありますが、まずはこの1階、2階の部分で専門医を取得する事が社会に認められた医師として活動できるようになると思います。まずは幅広く勉強し、体験し、判断力、技量を付けましょう。また乳腺・内分泌外科、小児外科を希望の先生は、専門性を極めることができるよう教室、関連病院、留学先で育てていきたいと思います。きちんと責任をもって観ていきます。

私の経験から言うと、自分が外科医として目標とする先輩を見つけ、じっと真似をすることが早道と思います。私も今まで数人の先輩に憧れ、そうなりたいと願い、手術力、判断力、解析力を磨いてきたつもりです。この病院で働きたいからとか、楽をしたいからとかいう話と別次元の事です。折角外科医になったのですから一流を目指しましょう。その道の達人を目指す。特に若いうちは脇目も振らず邁進する時期も必要です。そこまでやってやっと二流になれるのではないでしょうか。最初から二流を目指しては三流にしかなれないと思います。私は、外科学を本気で考え、世界レベルの仕事ができる一流の環境を提供したいと願っています。

教授就任時挨拶(平成24年1月)

伝統を受け継ぎ、さらなる進化を促す。

平成24年1月1日付けで長崎大学大学院 移植・消化器外科(第二外科)の第6代教授に就任いたしました。どうぞ宜しくお願い致します。

移植・消化器外科(第二外科)は、昭和9年に第一外科と第二外科が誕生して以来、78年の歴史があり、その間、古屋野宏平教授、辻村秀夫教授、平井 孝教授、土屋凉一教授、兼松隆之教授と、歴代の5教授が教室を発展させてこられました。私はこの深い伝統を受け継ぎ、さらに現代社会のニーズに合った形に変化、発展させることができるよう、若い力で教室を引っ張っていきます。

私は平成4年長崎大学卒で現在44歳と、全国大学の外科責任者の中でも若い部類だと思います。経験、知識、スキルは年長の教授方々には劣るかもしれませんが、外科学に対する情熱、志、覚悟、体力は負けません。手術でもまだまだ先頭に立って、牽引する所存でございます。教室、大飛躍の準備は十分にできております。

地域に根差し、世界に突出する外科学教室。

大学病院で高難度手術、先進医療を施行することはいまや当然の使命であります。患者さんに寄り添い、患者さんから学び、患者さんの役に立つ研究をし、新しい情報をどんどん発信し、長崎が世界からの注目され、ヒトが集まるようにすることが、大学病院で奉職している我々の使命と考えます。

文頭の教室訓を胸に日々の診療・研究・教育のみならず、地域貢献・国際化を考えていきたいと思います。現在の患者さんはもちろん、未来の患者さんにも役に立つ外科治療を手掛けようではありませんか。

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